流れから取り残されたジャニヲタの独り言

この記事は、現在進行形で重岡大毅くんを、そしてジャニーズWESTの応援をしている人には不快に移るかもしれない。

それでも、2年経っても消化できない思いをここに吐き出させてほしい。

 

 

私は重岡大毅というアイドルが好きだった。大好きだった。

 

いや、今でも好きだ。

音楽番組で見かける度、Twitterで画像が流れてくる度、たまたま録画されていた番組を見るたびに、

あぁ、かっこいいなあ

無意識にそう感じてしまう。

 

けれどそれは必死で夢中に彼を、そして関西ジャニーズJr.を追いかけていたあの頃とは全く別物といってもいい感情だ。

今流行りの俳優をかっこいいと思う感情とさほど変わらない。

どうしてこうなってしまったのだろう。私はよくそう考える。

 

 

 

私が彼のことを知ったのは、ザ少年倶楽部in大阪を見たときのことだった。

 7WESTのセンターとして、いや、関西Jr.のセンターキラキラのアイドルスマイルを振り撒く彼に目を奪われた。

 初めて好きになったアイドルだった。

 

本屋で毎月毎月何冊もアイドル誌を買って、数少ないDVDを買い、関西に住んでいる友達にローカル番組をダビングしてもらった。

当時関東で見ることのできる番組に出演することは全くと言っていいほどなかったから、同じ内容のin大阪を一言一句、間合いまで覚えるほどに繰り返し再生した。

松竹座にも通った。

交通機関も自分で手配できるようになったし、大阪にも詳しくなった。

毎年松竹座で過ごすクリスマスがとても楽しかった。

 

彼の好きなところは、自分を持っているところと自分を客観視できるところだった。

彼は紛れもなく“アイドル”で、また彼もそうあろうとしていた。

 

それを象徴するエピソードとして7WEST内で曲を決める際のエピソードがあった。

数年前の記憶故曖昧だが、メンバーがかっこいい曲を歌いたいと提案したところ、「7WESTは他にはない王道アイドル路線で行く」という理由でそれを断ったという。

また、2013年に行われたソロコンの選曲にも彼の求めるアイドルらしさが出ていると思う。

 

打算的といったら少しニュアンスが異なるが、信念を持ってアイドルを貫いている彼が、

そして彼とその仲間で創り出す7WESTが大好きだった。

 かわいらしさ、無邪気さ、男らしさ、全てのバランスが絶妙に“アイドル 重岡大毅”を構成していた。

 

 

2013年には全国ツアーを回ってノリに乗っていた関西Jr.。

“デビュー”という夢が現実味を帯びてきて、本人たちもファンもそれを掴み取るために一丸となって同じ方向を向いて必死だった。

ひとつ、またひとつと大きい仕事が決まるのが嬉しかった。

前へ前へグングン進んで、未来は期待に満ち溢れていた。

 

そんな中、忘れもしない2013-2014のジャニーズカウントダウン

ジャニーズWESTの結成とそのデビューが発表された。

あまりのことに反応ができなかった。

 

ずっと追いかけてきたデビューの夢が叶ったのに。嬉しいはずなのに。

その隣にシンメの神ちゃんはいなかった。

一緒に頑張ってきた流星くんの姿はなかった。

なんで

どうして

そんな思いでいっぱいだった。

ありえないほど泣いた。

 

ここ最近神ちゃんとシンメでいることが少なくなって、代わりに小瀧が隣にいることが増えたこと

クリパのグループ分けがおかしかったこと

本当は全部、そんな小さなでも大きな事に気付いていた。

いつかは7WESTでいることに終わりが来ることも分かっていた。

それでもあまりにも突然すぎて心が追いつかなかった。

 

結局当時の7WESTメンバーは全員デビューすることが出来たけれど、最初の頃は嫌でも、口にしたくはないが「格差」というものが目について辛かった。

今まで肩を並べて戦ってきた仲間なのに。

 

それでもそんな気持ちに蓋をして気づかないふりをして舞台に通って、デビューシングルを買って、イベントに行った。

 全国ネットで大々的に取り上げられていろんな音楽番組に呼ばれたことが嬉しかったし、なによりもう目の前から消えてしまう心配がないことが1番嬉しかった。

 

しばらくはデビュー出来たことへの嬉しい気持ちのまま応援していた。

けれどだんだん日が経つにつれてジャニーズWESTや他のメンバー不満へのを感じることが増えてきた。

 

感情は一度気付いてしまったら、もう無視できなくなる。

 

歌ってる時はカッコつけて、MCではチョケる。そんな関西Jr.が好きだったのに、表題曲は小中学生向けのコミカルな曲ばかり。

曲は与えられるもので本人たちの100パーセントの意思ではない。それは承知の上だが、だったらきちんとふざけた曲をふざけた曲として真面目に歌ってほしい。

曲中に歌うのを放棄して真面目に歌うことをやめないでほしい。

私の好きな“アイドル重岡大毅”ならきっとそうするはずだから。

 

きっと彼の軸はぶれていないのだと思う。

曲中のおふざけだって、会社から、世間から求められているものかもしれない。

言動が目に見えるように子供っぽくなったのだって、それまで全くなったわけでもなければそれが本来の重岡大毅なのだろう。

それでも、そんなことを思うたびに私の好きな“アイドル重岡大毅”が否定されるような気がして、なくなっていくような気がして悲しかった。

好きなのに。好きでいたいのに。好きな部分がどんどんなくなってしまうような感じがした。

 

他のメンバーのことだってデビュー前はみんなのことが大好きだった。

なのに不満を感じるたびにそんな自分が嫌になった。私はどうして好きなままでいられないのだろうかと。

 

いろいろなことについていけなくなっていって、重岡くんのいない舞台台風n Dreamerを観て限界を感じた。

そうしてついに私は彼らの応援を辞めた。

 

私がファンを辞めたのは彼らのせいではない。

実際デビュー前から今まで応援し続けているファンなんてゴロゴロいるだろう。

幼くなったファン層や次々に押し寄せる新曲、今までとは違うグループの方向性。

デビューしたからには当然の環境の変化についていけなかったのは私の問題だ。

 

応援を辞めたのは自分のせいで自分で決めたはずなのに、今でもどうしてもあの頃の“アイドル重岡大毅”が私の中では1番で、好きで好きで。

だからこそこんなブログも書いちゃうくらいに引きずっている。

 

『君と素敵な夢をいつまでも見てたいから』

そう歌った彼らを見て、どこまでも応援すると誓ったはずなのに。

もっと好きでいたかった。もっと同じ年月を過ごしたかった。

もっと。もっと。

 

いつまでもループする思いをここに吐き出して、いつか消化できる日が来るだろうか。

 

それでもそんな思いの中で変わらないことが1つある。

重岡くん。あなたは、中学1年生のときから今も私の中で最初で最後の最高のアイドルです。

これからもテレビの前から応援させてください。

大好きです。